11.22.00:02 [PR] |
12.26.17:10 The ting tings【豊年祭】 |
【注意】シモネタです。見て不快に感じる方は
画像および文章を見るのは避けたほうがいいかも。
了承した方のみ、画像をクリックしてください。
(本人はいたってマジメに描いた絵ですが・・・)
珍しい宝なのです。
田縣神社(たがた神社)の奇祭「豊年祭」をモデルにして。
ここだけに限らず、日本のお祭りには結構こういうお祭りが多いです。
神道のお話で、日本が生まれたときの「国産み」は
イザナミ、イザナギ同士の描写がまんまアレですし・・・
でも笑っちゃいけません。
マジメな文化なんですよ。
ここでちょっと雑談をば。
芸術(アート)ってなんなんだろう、と常日頃考えさせられます。
ボクは芸術家じゃないので、よけいに芸術が不思議なものに映ります。
そのなかで、ひとつの切り口として、こんなことを思いました。
人間は「間の人」と書きます。
一説には、それは天と地の間、ということらしいです。
上(カミ)と下(シモ)のどっちつかずの存在。
だから、人間はカミ(神)に畏怖を感じるし
下(地)に魅力を感じる。
人間はそのときによって神にも悪魔にもなる・・・。
神道をベースにしている、合気道という武道があるのですが
これを開いた植芝翁という方は、こんなようなことを言っています。
「人間は磨けば光り輝く玉(タマ)となり、放っておけば錆びるいっぽう」
人生とは、下りのエスカレーターを上っているが如し・・・
怠ければ落ちるのはすごく速い。
筋トレなんかいい例でしょ。
タマは御魂(ミタマ)であり、御霊(ミタマ)でもあります。
磨かなければ、ただのキンタマです。
下を向いていれば落ちるいっぽう。
上を向いて歩こう、ということなのだと思います。
いつでも人間を揺さぶってやまないのは
上(神)ネタと下ネタなんですねぇ。
ヒトを揺さぶるのが芸術ならば、
そんなもんなのかもしれません。
絵画の発展は、宗教とシモネタをなくして語れません。
ダヴィンチ、ミケランジェロ、浮世絵、春画・・・
神様とヌードなくして語れません。
とある都市で条例が制定されましたね。
青少年健全育成条例・・・でしたっけ
表現者の方たちには死活問題のようです。
漫画業界は少なからず衰退するだろうと思います。
でも、それで漫画が死んでしまうとは思いません。
むしろ規制が厳しくなればなるほど、爆発するんじゃないでしょうか。
いままでの歴史を見ても、そう感じます。
戦時中の厳しい規制のなか、くすぶっていた情熱は
戦後の時代に爆発します。
芸術は法律に縛られることはない
むしろ、法律は芸術を縛ることはできない。
縛られるのは「業界」です。
芸術そのものに表現の自由はあります。
そんな法律なんかで死ぬようなもんじゃないと思います。
だから、業界の立場の人間が「表現の自由が侵された」と言っているのは
詭弁に聞こえてしょうがないです。
ただの表現者ならばそんなこと思わないはず。
大丈夫です。表現したいものを表現すればいい、と思うんです。
ただし、正しい行いもやる場所やシチュエーションによって悪行になります。
芸術として正しくとも、見せる場を間違えればただの迷惑行為です。
そこは見極めなきゃいけないところですね。
・・・思えば「芸術(アート)業界」は
法律との戦いの歴史でもあるかもしれません。
長くなりましたが、そんなことを考えながら
年の瀬を迎えることになりそうです。
ちなみに田縣神社では厄男はちん○の神輿を担ぎ
厄女はち○こ形の木彫りを抱いて、周りの人たちに撫でてもらうそうです。
ええ、ちんこです。
上を向いて歩こう。
みなさんよいお年を!
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