11.22.18:20 [PR] |
01.18.03:00 【御伽噺】光のゆくえ |
そのとき、勇者のもとに仲間が駆けつけました
”ギャーやられたぁ”
怪物は倒され、光の姫は無事助けられました
・・・そうして世界は光を取り戻し、
平和になりましたとさ。
めでたしめでたし
「ねぇねぇ、光がない世界ってどんな感じ?」
そうねぇ、何も見えない世界ね
「何も見えないってどんな感じ?」
あなたも、私たちも、みんな
そこに居ても気づかないくらい
真っくら闇なのよきっと
「じゃあさ、存在してないってこと?」
いいえ、存在しているわ。
見えなくても。ちゃんとね。ちゃんと
***
おとぎ話は終わったけれど、子どもたちは帰らない。
それは深界魚たちも同じであった
===============
久しぶりに黒くない、キレイなKYAN-DOGだと
思って安心するなかれ。
結構いろいろ考えながら描いてました。
以下、その詳細というかエッセイ。
こう、スポットライトがあたって、光の中で
子どもたちに読み聞かせている絵を
描きたくて、構想としては昔からあったのだけれど
病後復帰のリハビリっちゅーことで
どさくさにまぎれて描いてしまいました。
今回、使っているテクスチャは
ウチのおばあちゃん家の掛け軸の金箔です。
正月にいったときのね。
この絵はよく見てもらうと分かるのだけれど
左端のパーカー着ている子は旧作の「鯰夢」の
女の子の幼い頃の姿だったり。
絵の中で読み聞かせしている女性の足は
戦争で失くしてて義足だったり。
(こちらでもう少し大きい画像見れますので●)
実は絵の中のみんな生きてなかったり。
おとぎ話は戦争をオマージュしてたり
してなかったり。
やっぱりこういう勧善懲悪な物語は
悪の存在である怪物とかに
同情しちゃうんですよね。なんでかな。
完全な悪っていうものに疑問が
あるからかな。きっと。
戦いって、きっかけがあるし
どっちの言い分もあるじゃない。
だからかな。
うしろの背景の建物は大正モダンな建築
「和洋折衷」な感じで描いてますのです。
大正といえば、太平洋戦争に突入する前の
ひと時の優雅な文化時代。
ちょっとネットとかで調べてもらえれば
わかりますが、あんな晴れやかな文化が
戦争でグッチャングッチャンに
なっちゃったんだから凄いですよね。
結局のところ、日本のトップがグチャグチャに
なっている間に軍部が入り込んだのが
原因のひとつとしてあるみたいですが。
いまこうしてる間にもお隣の国では戦争
始まりそうな雰囲気がプンプン。
そしてもうひとつ。絵の中で
一人だけヘッドホンしてお話を
聞いていない子がいます。
聞かないどころか、あや取りしてる。
しかも一人だけ長袖長ズボン。
こういう子が少数派として
イジメの対象になったりするのかもしれません。
子どもの中にも社会というものは
ちゃんとあって、やはり長いものに巻かれない者は
煙たがられます。でもこの絵の中では別に
みんなノケモノにしてる雰囲気はありません。
むしろみんなと違うことをしているのに
グループの中に溶け込んでいる。
まるでグループが彼を許しているように。
この子はどちらかというと自分自身です。
そもそも自分自身、協調性がないので
周りと違うことをしたがる性格なのです。
幸い、友達の運は良くて、学生時代は
そういう「烏合の衆」を許しあえる仲間に
恵まれていました。
特に小さい頃は、そういう少数派とつるむ
ことが多かったみたいです。
人物の群像を描くとき、皆がみな、
同じ方向を向いている絵はどうしても描きたくない。
どちらかというと、こういう思い思いに
楽しんでいる姿を描くのが好きです。
これもおそらくそういう経験が影響して
いるんじゃないかと考えます。
狭い世界でだって、足並みそろえているよりも
思い思いに違うことやってる・・・それがこの世界だと
思うんです。
でもそれじゃぁ社会が成り立たない、といわれれば
それまでなんですが・・・まあ分相応とその場の
雰囲気ですね。
(^光^)<貴様ら人間が見える世界は狭い
そうなんです。人間が見えるのは
いろんな光の波長がある中で
紫~赤だけなんです。
詳しくは調べてもらうと分かりますが
意外と人間が認知できる光の波長は少ない。
そんなせまい世界だから
せまい世界を奪い合って喧嘩するのも
当たり前か・・・と捕らえるか。
そんな小さい世界で喧嘩したって
どんぐりの背比べでバカらしい
と捕らえるか。
どっちだろうね。光さん⇒
(^光^)<知るかボケナス。手前ぇで考えろ
いつもそうなのだけれど、
何か考えがあって描くより
描いたあと、なんで描いたのかというのを
考えるのが好きだったりする。
(^光^)<嗚呼このすばらしき世界
ちゅーことで、この「光のゆくえ」は
「光のゆく絵」でもありますのです。
無題
2011年02月03日木
凄くいいね!
iPadの壁紙にさせて貰いました。
闇の部分は色々と想像力が膨らんでしまうところも、この絵の魅力なのかなあ。
光といえば。
最近読んでる本に、写真(真を写す)=photographという和訳、英訳は一般的だが、photograph(photo=光 graph=描く、画)という語源の中に真実という意味は含まれ無い、と書かれてました。
photographは「写真」じゃ無い。真を写すだけじゃ無い。
こんな風に冒頭で強く述べられています
確かに写真はありのままを移すけど、撮る側の意向を強く反映させる事が出来ます。
現実が非現実のように撮れてしまうところに面白さを感じることもあり、妙に納得してしまいました。
もっとも戦前の明治、大正時代は写真の事を「光画」といっていたそうです。
写真が重要な証拠として戦争に利用された事もあり、「光画」から「写真」へと呼び名を変えられたのかもしれないね。
今度から言います、趣味は光画ですw。
無題
2011年02月03日木
凄くいいね!
iPadの壁紙にさせて貰いました。
闇の部分は色々と想像力が膨らんでしまうところも、この絵の魅力なのかなあ。
光といえば。
最近読んでる本に、写真(真を写す)=photographという和訳、英訳は一般的だが、photograph(photo=光 graph=描く、画)という語源の中に真実という意味は含まれ無い、と書かれてました。
photographは「写真」じゃ無い。真を写すだけじゃ無い。
こんな風に冒頭で強く述べられています
確かに写真はありのままを移すけど、撮る側の意向を強く反映させる事が出来ます。
現実が非現実のように撮れてしまうところに面白さを感じることもあり、妙に納得してしまいました。
もっとも戦前の明治、大正時代は写真の事を「光画」といっていたそうです。
写真が重要な証拠として戦争に利用された事もあり、「光画」から「写真」へと呼び名を変えられたのかもしれないね。
今度から言います、趣味は光画ですw。
自分で設定しておきながら、コメントの公開が
管理人認証制になっていました。
>光画
なるほどー!しかも写真という言葉は明治以降なのですね
光を映すのだけが真実ではない・・・
考えさせられます。
貴重な情報ありがとうございました!
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